ジャズの専門用語や作曲家、アーティストを調べられます。 少しずつ充実させていきますので、ご利用ください。


セカンド・ライン(SECOND LINE)

ディキシーランド・ジャズを生み出し、サッチモことルイ・アームストロングを輩出したジャズのメッカ、ニューオーリンズ。
そのニューオーリンズの黒人たちの葬儀は埋葬が終わった後、墓地からの帰り道にブラス・バンドの賑やかな演奏とともに街をパレードする風習があります。その一団の1列目は親族などの近親者や関係者が並び、2列目=セカンド・ラインにはパレードを盛り上げる人々が陣取るのです。
そして、そのセカンド・ラインに位置する人たちは黒人独特の2ビート感覚の裏拍を強調したリズムを奏でることがあります。それをセカンド・ライン・ビートと呼ぶようになり、ジャズのリズム・パターンのひとつとして定着していったのです。

ジャイヴ(JIVE)

元来は“嘲笑する”という意味の言葉だった“ジャイヴ”ですが、次第に“人を煙に巻くような出鱈目なおしゃべり”や“おどける”“ふざけ る”“ユーモア”“ナンセンス”など、様々な意味を持つようになり、それがジャズと結びつきました。
スウィング隆盛の時代に軽快で洒脱でコミカルな要素を持ったジャズをジャイヴ・ミュージックと呼ぶようになったのです。シンプルな構成でポップで憶え易いのも特徴です。また、それに合わせて踊るダンスのスタイルを指すこともあります。
代表的なジャズマンとして挙げられるのが、スキャットを得意とする歌手であり自身のバンドを率いて1930~1940年代に活躍した希代のエンターテイナーのキャブ・キャロウェイで、彼は“ジャイヴの帝王”と称されました。

ハード・バップ(HARD BOP)

1930年代に一大ブームを巻き起こしたスウィング、1940年代にモダン・ジャズの幕開けを飾ったビバップ。これに続いて1950年代に大きな潮流となった新しいジャズのスタイル、それがハード・バップです。
発祥は主にニューヨークを中心とした東海岸、そして主導したのは黒人プレイヤーたちでした。ビバップをベースにしながら、よりメロディアスで各人の個性を重視したヴァラエティに富んだサウンドを目指し、徐々に画一化されつつあったビバップ・シーンに新鮮な風を送り込みました。結果、よりポップに分かり易くビバップを進化させたものが、 ハード・バップと呼ばれるようになったのです。
その代表的なミュージシャンと言えば、まずはトランペットのマイルス・デイヴィス、そして、テナー・サックスのジョン・コルトレーンが挙げられるでしょう。

フリー・ジャズ(FREE JAZZ)

1960年代のジャズ・シーンにおける大きな問題提起となった新たなムーヴメントがフリー・ジャズです。公民権運動の高まりやベトナム戦争の泥沼化など、社会に対する鬱積した怒りが渦巻いていた当時の状況が、その台頭の背景にあるとも言われています。音楽的にはトーナリティ(調性)に捕らわれない、よりフリー・フォームな即興演奏を追求することを目指した過激なジャズと言えるでしょう。
フリー・ジャズの扉を開いたのはアルト・サックスのオーネット・コールマンで、彼のアルバム『ジャズ来るべきもの』は、そのバイブルとも呼べる作品です。
ジョン・コルトーレーンもオーネットに触発されて一時期フリー・ジャズに傾倒しました。さらに、それに影響を受けた同じテナー・サックス奏者のアーチー・シェップやファラオ・サンダースが追随して発展させていきました。

ボサノヴァ(BOSSA NOVA)

1950年代後半にブラジルのリオデジャネイロで誕生したボサノヴァは、作曲家のアントニオ・カルロス・ジョビン、作詞家のヴィニシウス・ヂ・モラエス、そしてシンガー&ギタリストであるジョアン・ジルベルトという3人のコラボレーションによって生み出されたものと言えるでしょう。
その高度で洗練されたハーモニー感覚はジャズとの親和性も高く、ジャズマンたちも次々とその要素を取り入れ始めます。そして、その決定打となったのが、テナー・サックスのスタン・ゲッツがジョアン・ジルベルトと共演した1963年発表のアルバム『ゲッツ/ジルベルト』でした。ジョアンの当時の妻であったアストラッド・ジルベルトの涼やか な歌声をフィーチャーしたことも功を奏して、この作品は大ヒットを記録します。
その後もクリード・テイラーが主宰したCTIレーベルなどからジャズ&ボッサの名盤が次々と生み出され、ジャズとボサノヴァは切っても切れない深い関係となりました。

フュージョン(FUSION)

ロックやソウル、ファンクなどが大きく台頭した1970年代。ジャズにもその影響が色濃く反映され始めます。エレクトリック楽器を大幅に取り入れて、ロックの8ビートやファンクの16ビートを活かした新しいジャズ。その創造にマイルス・デイヴィスらモダン・ジャズの大御所たちも続々と取り組み始めるのです。
当初はクロスオーヴァーという呼称だったこの融合音楽は、次第にフュージョンと呼び名を変え、ギターのラリー・カールトンやリー・リトナー、パット・メセニー、サックスのグローヴァー・ワシントンJr.、デヴィッド・サンボーンにマイケル・ブレッカー、そして、キーボードのボブ・ジェームスやジョー・サンプル、さらにはベースのジャコ・パストリアスなどなど、キラ星のごときスター・プレイヤーが次々と登場し、シーンは百花繚乱の賑わいを見せました。ポップ・ミュージックとしても幅広く受け入れられたフュージョンは、音楽シーンに一時代を築き挙げたと言えるでしょう。

クラブ・ジャズ(CLUB JAZZ)

ニューヨークはサウス・ブロンクスのストリートで1970年代末に産声を上げたヒップ・ホップは、1980年代後半には完全に市民権を得てポップ・シーンの中心に躍り出ました。これがジャズと結びついて生まれた音楽がジャズ・ヒップホップです。
また、同じ時期のロンドンではジャイルス・ピーターソンを始めとする気鋭DJたちが先導するアシッド・ジャズ・ムーヴメントが勃興。そこから発展して、ロンドンのクラブ・シーンではトーキング・ラウド・レーベルのアーティストたちが中心となったジャズ・ファンク・ブームが巻き起こります。
また、1990年代には新たなクラブ・ミュージックとしてトリップ・ホップやドラムン・ベースが誕生し、それと融合したジャズはフューチャー・ジャズとも呼ばれました。
これらクラブ・シーンの最前線音楽のエッセンスを取り入れたジャズを総称してクラブ・ジャズと呼びます。記憶に新しい所ではオーソドックスなジャズで踊るヨーロピアン・ニュー・ジャズの流行もクラブ・ジャズの一潮流であると言えるでしょう。

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